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一般社団法人 相模カンツリー倶楽部 http://www.sagamicc.org/

TEL. 046-274-3130

〒242-0008  神奈川県大和市中央林間西七丁目1番1号

倶楽部の歴史


1937 〜 1945
(昭和12年 〜 昭和20年)
暗雲の下で


昭和12年には、女性キャディの採用にも踏み切っている。
男子キャディが時局柄、工場などに移り、
会員やゲストの増加に対応できなくなったからである。
川奈に次いで2番目のことだった。

女性キャディの登場

昭和12年、関東倶楽部対抗戦に初優勝した時の記念写真

昭和12年といえば、我が国の歴史が大きく転換した年でもあった。
7月、盧溝橋事件が勃発して日中は全面戦争に突入、戦況は泥沼化した。
翌13年には、国家総動員法が公布され、戦時体制の確立、戦費をまかなうため、「ゴルフ入場税」が導入された。ボールも配給制になった。
そして、昭和16年12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃、太平洋戦争がはじまった。日本ゴルフ協会は「キャディの全廃、ゴルフ道具の携帯禁止」通達を出した。

昭和18年、外来語が禁止されたため、球童(キャディ)、砂窪(バンカー)などと言い換えられ、相模カンツリー倶楽部も「社団法人 相模打球会」と改称。12月19日の忘年競技会最後に、一切の競技が行われなくなった。競技が復活するのは戦後の昭和22年になってからである。

昭和19年7月、陸軍の第9科学研究所の研究用地として9ホールに徴発命令、昭和20年4月、敗色濃厚の中、陸軍農耕隊の駐屯が決定、農耕隊はイモ・カボチャなどの増産のため、グリーン、バンカーをも取り崩して開墾を始めた。ここに至って、倶楽部は臨時総会を開き、「相模打球会」の休場を決定、これが最後だと多くの人が思った。
まだ4ホールほど手付かずのうちに、8月15日の終戦を迎えた。もはやゴルフコースとはいえぬ荒涼たる光景があとに残った。