本文へスキップ

一般社団法人 相模カンツリー倶楽部 http://www.sagamicc.org/

TEL. 046-274-3130

〒242-0008 神奈川県大和市中央林間西七丁目1番1号

倶楽部の歴史


1989 〜 2003
(平成元年 〜 平成15年)
平成の時代

相模のコースは赤星六郎が設計した。赤星は大正末期にアメリカに留学、プリンストン大学ゴルフ部員として鳴らし、トーナメントにも優勝した。帰国後は昭和2年の第1回日本オープンに優勝、安田幸吉、浅見緑蔵らのプロたちを指導するなど傑出した存在だった。彼は、昭和5年から6年にかけて東京ゴルフ倶楽部(朝霞)や廣野の設計のために来日した英国のチャールズ・アリソンに同行、その設計思想や技術に影響を受けたコース設計家でもあった。日本のゴルフ界の大功労者だつたが、昭和19年、敗血症のため44歳の若さで亡くなった。相模はその赤星が残した最初の、そして傑作コースとして世に知られてきた。

ただ、18万坪に欠ける相模は、決して広いとは言えない。よく言われることは、相模のコースは中央部はゆったりしているのに対し、外側が窮屈、ということである。これについて、当時、周囲は原野で、はるかに丹沢・大山の山並みが眺められたことから、芸術家肌の赤星は豊かな周囲の空気を取り込むために境界ホールをギリギリに寄せたのだという見方もあるが、ゴルフ場にはOBゾーンが必要であり、赤星は3・6・7・15番の各ホールで場外の雑木林をOBゾーンに考えたのだというのが有力のようだ。当の赤星は「私のコース設計家としての夢と理想を相模で実現した」としか語っておらず、コース造成中に赤星と会ったという会員の一人が「敷地が狭いから距離の長いコースがとれない。その代わり飽きないコースを作ってやるよ、と六郎さんは言っていた」との証言を残しているくらいである。

昭和62年、理事会の下にコース検討委員会が設けられ、更に平成3年2月には一歩進めて「コース改造計画検討委員会」が設置された。
同年3月‾9月に改造最終案を作るまで10回の委員会を開催、平成3年12月4日、臨時総会は「コース改造実施」を決定した。
平成4年、第1期工事として、2・3・8番にサブグリーンを造成、7・15番に本グリーンを造成した。
平成5年、第2期工事、7・15番にサブグリーン造成。総工費は、約3億5000万円を要した。

現16番ホール、ティーイング・グラウンド付近

15番ホールの改造設計図面